求人票は嘘だらけ?年間休日125日のホワイト営業職に入ったら、労働環境劣悪のテレアポ地獄だった話

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はじめに

はじめまして、むんにぃです。
前記事を読んだ方ならご存知でしょうが、僕の経歴は一浪一留
世間から見れば少し「遅れた」キャリアを持つ僕が、死に物狂いの就活の末に掴み取ったのは、従業員数1000人を超える会社の営業職でした。

就職したのは、東京新宿区に本社を構える従業員1000名超えのIT・広告会社
ネットで調べればすぐに名前が出てくるし、何より求人票でよく拝見する某S社です。
当時の僕は「これだけ名前の通った会社なら、人生逆転できる!」と本気でガッツポーズしていました。
その門を叩いたことで、精神が崩壊し、適応障害を患うまでの地獄が待っているとは思いもよらずに…

今回は、僕が経験した「求人票という名のファンタジー」と、血も涙もない現場のリアルをすべて晒します!

【理想】求人票の眩しすぎたスペック

入社前に見せられていた条件は、コンプレックスを抱える僕にとって、まさに「救いの手」のような完璧なものでした。(面接でいただいた会社説明も含む)

年間休日125日(土日祝休み)
平均残業時間 17.6時間(会社HP公認)
「下積みを経て3ヶ月で営業部隊へステップアップ」というキャリアパス
20代で高収入も夢じゃない

「これだけの会社だし、嘘なんてつくはずがない」。そう信じ切っていた僕は、希望に胸を膨ませて入社しました。

【現実】入社1日目から始まった兵隊の様な生活

しかし、入社後に配属されたのは、キラキラした営業とは程遠い「インサイドセールス」という名の電話マシーンでした。

「インサイドセールスとはなんぞや?」と思う人のために簡単に説明します。

営業(物を売る)やり方にはいろいろな種類があります。新規営業やら既存営業やら反響営業やら…
その中の新規営業において、営業スタイルが会社によって大きく2つに分かれます。
(詳しくは「営業 ザ・モデル」と調べれば出てきます)

一気通貫型営業スタイル

アポ取り → 商談 → 受注後のアフターサポートのすべてを一人で管理

分業制営業スタイル

・アポ取り専門(インサイドセールス)
・商談専門(フィールドセールス)
・アフターサポート専門(カスタマーサポート)
の3部隊に分かれており、それぞれが専門分野のみを行う

さて、話は戻りますが、某S社の求人広告担当のインサイドセールスとして勤務が開始したわけです。
聞こえはいいですが、実態はただのテレアポ要員
さらにその手法は、「会社名を名乗らず、求職者に扮して電話をかけ、社長に繋がった瞬間に営業をかける」という極めて闇の深いものでした。

4重苦の営業マニュアル

某S社で勤務した人全員がぶち当たる壁がこの4重苦です

・まず用意されたトークマニュアルは、最後まで読み切るのに15分以上かかる絶望的な長さ
社名を隠して電話する罪悪感
そんな長い話を聞いてくれる社長なんていない現実
・資金力のない中小零細企業がターゲットなのに、ターゲットには酷すぎる高額な料金設定

この壁を乗り越えてアポを取り、別の営業部隊にパスするのが仕事。
ただ、アポを取れたからと言って商談が成立するかはまた別問題…
先方が理由もなくキャンセルということも頻繁でしたし、商談成立して営業部隊が受注させなければインサイドセールスには一切の成果がありません…

ちなみに「3ヶ月で営業へ」という言葉を信じていましたが、実際は支社にいた求人広告担当のインサイドセールス200人強のうち、外回りに昇格できるのは年にわずか数人、多くて10人。宝くじかと思うほどの確率でした

ブラック企業の「巧妙な搾取」の仕組み

こんなもんでは終わりません!
さらに僕を追い詰めたのは、現場の異常なルールでした。

サービス残業が「当たり前」の文化

会社側の理論はこうです。

「仕事時間中は電話以外してはいけない」

つまり、かけ先のリスト作成や準備はすべて業務外
結果として、朝早くや夜遅くに準備をするのが当たり前になり、残業は前提となっていました。

みなし残業の悪用とタイムカード

上司からは

「みなし残業40時間分は、会社が残業させる権利がある」

という謎の暴論が飛んできます。
さらに、残業が40時間を超えそうになると、タイムカードを強制的に切らされ、そのまま当たり前のようにサビ残を続けさせられる毎日でした。

恐怖の「任意という名の強制出勤」

業績が悪くなると、本来休みのはずの土曜日や祝日に招集がかかります。
「あくまで任意、来てほしい人だけ来て」というスタンスを装いつつ、特別な理由がなければほぼ強制出勤。朝から晩まで、無給で電話をかけ続ける虚無感でいっぱいでした。

パワハラまがいの行動

さらにはアポ取りをしていないと机に頭を押さえつけられたり、人によっては冗談という体裁で顔や腕に「早よアポ取れ」とペンで書かれたりと、とにかく人権というものが消え去っていた環境でした。
その結果、僕の体は限界を迎え、とうとう適応障害を発症してしまい、1年という期間で会社を去る決意をしました…

結論:1年で辞めて分かったこと

一浪一留だった僕は、「ここで我慢しなきゃ次はない。これは未来への投資だ」と必死に耐えていました。でも、それは大きな間違いでした。
1年で退職を決意した今、はっきり言えることがあります。
それは、「逃げる」のではなく「自分を守るための戦略的撤退」だったということです。
心身を壊してまで捧げる価値のある会社なんて、この世に一つもありません。

最後に:今、違和感を抱えているあなたへ

もし今、あなたが「求人票と話が違う」「毎日が辛くて死にそうだ」と悩んでいるなら、その直感は100%正しいです。
あなたの価値を搾取し、壊していく場所で我慢し続ける必要はありません。

一浪一留、早期離職。そんな肩書きがあっても、僕は今、前向きに次の挑戦を始められています。
あなたのキャリアは、その会社だけで終わるものではありません。
一緒に、新しい一歩を踏み出していきませんか?

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